宗教学がわかったような気分になる物語とか読みたい

オーストラリアがインドネシアへの牛の輸入を禁止したのは時雨沢さんのツイートによると、生きたまま輸出されたオーストラリア産の牛が処理されるところのハラールの手法が残酷で、動物愛護の精神に反するからってことだと読み取ったのだけど、「またオーストラリアか」ってなる。過去にもエジプトに対してかましてたみたいだしあそこの許容の狭さといったら宗教並、というか自国が不利益はどこに還元されてるのかわからんのだが大丈夫か。その行動力は本当に信心からのものなのか? 程度の問題はあるとしても、ムスリムは牛の首を掻っ切る作法で殺された肉しかと食べることが許されないんだよ。地震で被災しても救援物資のハラームを拒否したりすることもある宗教なんだよ。

といっても宗教のことってよくわからない。教職課程の一般教養程度の知識しかない。全てで優を取ったわけでもないしな。あの論述どこが合っていてどこが足りなかったのか本当に教えて欲しいよ。

いい点を取れたほうの宗教学の講師は文章が旧仮名遣ひになるような変わり者の人だったけれど面白かった。「魚の絵を描かせると必ず左に口が来るのは刷り込み」とか「修行の手法としてオウム真理教は間違ってなかった」(オウムってヨガ用語ですしね)とか言ってたなあ。その教師の苗字を取って「○○教の授業」って言われてた。確実に信者であった。

でも信者とかって本当は軽々しく口にしちゃいけない言葉だと思う。宗教って、「弱い人が縋るもの」とか「胡散臭いもの」ではなくて、なくては生きていけないものであるはずなんだよ。「理解できないもの」を納得するためにできた機構なんだと解釈している。今は科学がそれのいくつかを説明できるようになっただけで、全てはカバーできていない。そういう「宗教って必要なんだー!」って思える物語はどこかに転がっていないだろうか。「断章のグリム」でユング心理学がわかったような気したように。

「ブッダ」も「仏ゾーン」も解脱を目指すものだろう。主人公が特別になるお話。「シャーマンキング」はジャンヌ様あたりまでしか読めてないけど友情努力勝利だよな。鋼の錬金術師のロト教は弱いものを嵌めた感じがあったので宗教は圧倒的な錬金術の前に屈した弱者。じゃあヒーローがいない物語にどんな魅力があるのかと問われれば、ないな。うん。

京極の「本当に怖いのは人間」は科学寄りだよな。TRIKCあたりの「『本当に怖いのは人間ではなく主人公』」の視点は面白いと思う。
……もしや科学と魔術の対立を煽ってる禁書あたりが手を付けてくれたら面白いのに。(もう付けられてる?)

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ライトノベルを中心に、ぐだぐだとバカなコメントを書きます。やってるときは燃え多め。

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