陶邑と狭山池

太田田根子でググって一発目だったページに反論を唱えておく。
http://www.sakai.zaq.ne.jp/senkon/suearata.html
トップページに「ホームページで大いにご批判頂きたい」とありましたので。

書紀の記述「茅渟県陶邑」は通説で和泉国大鳥郡だと思います。大阪府堺市中区辻之も和泉国だと思います。でもその神社の住所は大阪府堺市中区上之1215ですよね? それでも和泉国だと思いますが。記紀では河内国と書かれていると断言される論拠は? 
すえむら資料館って名前じゃないですか。古事記と書紀の記述が食い違う場合、書紀のほうが通説になりますよね。
古事記の記述は「河内美努村」なので茅渟とは切り離して反証していただかないと困ります。河内国と主張したいなら茅渟県以外の材料で陶邑説を否定してください。ここが茅渟だから河内国になるという論拠の傍証は地名だけですか? なぜ二つの説を混合されるのですか? 単純に古事記の河内国という記述が間違っている、だけで済む話であるはずです。そもそも古代の河内と和泉の明確な国境を私は知りませんが。

纏向遺跡と関連させた年代考察も疑問です。同じ年代にできたものならおそらく纏向から須恵器が出るでしょう。
そして狭山池は発掘調査で7世紀に作られたもの、と報告されています。こちらは河内の国ですね。現在の狭山池とは違う池とのお考えですか? 堺市美原区丹比村とはどの史料に記述されているどのような場所ですか? 一応付け足しますと須恵器産地としての陶邑は堺市・和泉市・大阪狭山市にもまたがる広大な範囲を表します。平安時代まで存続したようですので、7世紀にも存在しました。

すえむら資料館に行ったのなら、狭山池博物館にも行ってみてください。建物が現代アートの域に入るデザインで入場料無料で館内の写真撮影可ですよ。土木に関する面白い博物館です。

それと、鶏の史上初記述は古事記の天岩戸に出てくる常夜長鳴鳥ですね。家畜の原点とされているようです。

最後に。引用とご自身の論の境がどこであるか不明瞭です。史料以外はご自身の論ですか? 次に表示のご報告ですが、このページのブラウザ表示にFirefox17.0を使うと書紀の崇神引用の部分の一部、ゴシックフォントのまとめの一文、の二箇所に文字が重なって表示される場所があり、読めません。特に引用部分ですね。トップページも右側のフォント違いの部分に重なっている部分があります。こちらはInternetExplorer8・Chomeでも同様でした。

狭山池

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ライトノベルを中心に、ぐだぐだとバカなコメントを書きます。やってるときは燃え多め。

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